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今月のコラム
“人間と性”教育研究所理事
金子真知子

(2009/10/10更新)

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"豊かな性"は"豊かな生"の中でこそ


 

 故山本直英先生との出会いは1984年のことでした。「あなた自身が学んで、目の前にいる生徒たちに性を語れるように」という先生の言葉をきっかけに高校社会科で性の授業にとりくんできました。ここ数年は「戦争と性」のテーマで日本軍『慰安婦』を授業にとりあげてきましたが、そのなかであらためて「人間にとって性とは何なのか」という根本的なことを考えさせられています。
  生殖と快楽のふたつをあわせもつようになった人間の性というもの。それがいかに複雑で多様で個別的なものであるか。そして、性ほど身体に根ざしながらその実精神的であるものはないということ。それこそが人間の性の持つ難しさであり、豊かさなのだということを学んできました。そして何よりも、性という最もプライベイトなものが最も社会的で政治的なものであること。生殖の性も快楽の性もいつの時代にもこれを支配者が管理しようとしてきたこと。現代にあっては資本の搾取の構造の中にしっかりと組み込まれているという認識に至りました。もしも、このことに多くの日本人が覚醒したならば日本社会の質は大きく変わるのではないかと思います。
  研究所発足のパーティの時、隣席で山本先生が目をキラキラさせて「これは日本のカクメイですよ」といった言葉を思い出します。
  ところで、私はこの春公立高校を定年退職し、再任用制度で同じ高校にフルタイム勤務で1年生の学級担任をしています。今年も『慰安婦』問題の授業をしましたが、どのクラスでもほとんどの生徒が『慰安婦』という言葉さえ知らない。教科書から削除されるということはこういうことなんだと痛感しました。これが政治というものの力です。いま2学期に入り「性を学ぶ」というテーマで授業をしている最中ですが、生徒たちはまともに性の学習をやっていないことがよくわかりました。「月経って何?」「排卵ってどういうこと?」と女子生徒まできいてくる状態。その一方で「付き合ったら やるもんやろ」と言う生徒たち。下を向いている男子や女子のいる一方で、「エロイ」「エッチ」「やる」等の言葉を口にする生徒もいる教室の中で、どの子にとっても「学んでよかった」と思える授業をと苦心しているところです。
  それにしても、80年代から90年代にかけて私たちは山本、高柳両先生のリードのもと、「日本社会に豊かな性と生を」の夢を描いてやってきたはず。ところが21世紀のいま、私たちの前にひろがるこの貧困と格差の無惨な現実はどうでしょう。「ネットカフェ難民」の若者に性を楽しむ空間は与えられているのでしょうか。「婚活」などという言葉が使われるほど結婚も出産も子育ても困難な社会を作ってしまって、「育ちの中の性」などとのんびり言っている状況ではなくなりました。「構造改革」という政治が、人間の性を営み育てる場を破壊してしまったのですから。
  いま私は1990年に北欧ツアーでデンマークを訪れたときのことを思い出しています。知的障害をもつ一人の青年に対して、単に性欲処理を教えるのではなく、恋する感情、人と人との関係を教えようと取り組む社会福祉の指導員たちの姿をうつしたビデオ。タイトルの「愛への憧れ」が胸にしみました。豊かな性はゆたかな生を保障する社会の中でこそ花開く。この真実は変わらない。私たちや子どもたちから豊かな性の可能性を奪うものを見抜き、人間の性の尊厳をかけてたたかうこと。これが故山本先生の遺志をうけつぐことではないか。秋の総選挙を前にして思うこの頃です。