《ホーム》
                  
今月のコラム
“人間と性”教育研究所所長
高柳美智子

(2010/5/20更新)

 bQ7

「韓国併合」100年に想う

ー酷いことをした側は忘れるが、された側は忘れないー


 

 あなたは、京都の東山にある「耳塚(鼻塚)」をご存じですか。16世紀末、天下を統一した豊臣秀吉が支配の手をさらに伸ばそうと朝鮮半島に出兵した際、日本の兵士が戦功の証しのために、討ちとった軍兵や農民の鼻や耳を切りそぎ、樽に塩漬けして持ちかえって埋めた塚のこと。わたしは中学・高校の教師時代に修学旅行で何度となく京都を訪れ、多くの史跡を巡りました。でも、「耳塚」に行ったことは一度もありません。そのことに気づかされたのは、「『冬のソナタ』から見えてくるものー韓流の韓国を訪ねて」(2004年)のツアーを企画して韓国を訪ねたときのガイドの康恩淑(カン・ウンスク)さんとの何げない会話です。
 康さんは、韓国人の日本観光に同行されるそうですね。どんなところに行かれるのですか」
 「まず最初にお連れするのは、京都にある耳塚(鼻塚)です」
 はっとしました。日本人にとって、豊臣秀吉は歴史上の傑出した人物。小説、テレビドラマ、マンガのヒーロー。ただし、描かれる秀吉は「天下人」になるまで。領土拡大という野望から起こした朝鮮半島への出兵という侵略戦争での蛮行に触れることはなく、韓国の人が京都の「耳塚(鼻塚)」を訪れ、黙祷していることを日本人は殆ど知りません。酷いことをした側はすぐ忘れるが、された側はいつまでも忘れないー。これは「韓国併合」についても言えることです。
 日本は1905(明治38)年、日露戦争でロシアに勝利すると、大韓民国を日本の勢力下に置くことを認めさせました。5年後の1910(明治43)年には、朝鮮総督府を設置して日本領とし、完全な植民地(韓国併合)としました。大韓帝国は世界地図から消えたのです。        
   地図の上/朝鮮國にくろぐろと/墨を塗りつつ 秋風を聴く  
 日本国中が「韓国併合」の万歳にわく中で、石川啄木が詠んだ歌です。「くろぐろと墨を塗り」の言葉に、植民地政策への怒り・批判と、祖国を失った朝鮮の人々を思いやる心が刻み込まれています。                          
 15年戦争下の国民(小)学校で軍国教育をたたきこまれたわたしは、地図の上の朝鮮半島が日本と同じ赤色に塗られているのがとても誇らしく思えたものです。
 じつは、わたしには今なお、刺のように胸に刺さった記憶があります。それは国民(小)学校のクラスメートの金(キン)秀子さんのこと。色黒で負けん気の、えくぼの可愛い女の子の金さんとは背丈が同じ位だったので座席が隣り合うことも多かったのです。金さんへのあからさまないじめはなかったものの、だれもが「朝鮮人の金さん」という意識で接していたのはたしかです。そんなある日、担任の先生から「金さんは金子さんに名前が変わります」と告げられたのでした。これは「創氏改名」という皇民化政策の一つで、全朝鮮人に日本式の名前に改めることを強制したことによるもの。それがどんなに酷いことであるかわからないわたしは、「『金子』なら朝鮮人とわからない。よかったね」との思いで隣の席の金さんに笑いかけたのでした。       
 

 今年は「韓国併合」から100年。日本人の海外旅行先の第1位は韓国です。修学旅行先としても韓国が選ばれ、「戦争記念館」「民族博物館」などの見学や韓国伝統のお面つくりの体験学習が好評とのこと。韓国からの旅行者も年々増えて、修学旅行先  に日本が選ばれ、日韓高校生の交流会の取り組みもあると聞いています。とはいえ韓国の人達は、日本が自分たちの国にしたことを忘れてはいません。「併合100年」の今年こそ、韓国の人々が忘れたくても忘れられない歴史を共有することの自覚を深めていこうではありませんか。

                     

                       (靖国神社に参拝する朝鮮人遺児)